■ソフトウエアとの出会い
倉田 早速ですが、まずはこれまでの歩みからお聞かせ願えますか。
堀江 東京江戸川区の平井で生まれ、都内の深川高校を卒業後、デザイン専門学校に進学しました。そちらではデザイナーを目指して、婦人服メーカーに就職しました。そのときに職業訓練学校で初めてソフトウエアの存在を知りました。ですが、それまで服飾関係の仕事に携わっていた私は「柔らかい服」ってどんな仕事だろ? などと勘違いするぐらいで(笑)、全くコンピュータのことなど知らなかったのですよ。それが今から20年程前のことで、ソフトウエアという単語が世に出始めたころでした。
倉田 ひょんなきっかけからコンピュータと出会われたのですね。
堀江 ええ。その当時のコンピュータは現在のように高性能でも小型でもなく大型汎用機で、カードリーダーに情報を読ませるといった感じでした。
倉田 その後、どうされたのですか。
堀江 転職先のソフトウエア会社で働いていたところ、同僚から独立の話を持ちかけられましてね。独立心はなかったのですが、28歳のときに共同で事業を興すことになりました。しかし起業から数年後にバブルが崩壊して仕事が減ったため、会社のスタンスを変更せざるを得ない状況になったんです。まあ、平等性を保てないので、そちらを辞し、その後、フリーとして仕事を1人でこなしていたんですが、その間に仕事で人を雇うようになり、営業範囲も幅が広がっていきました。簡単に言うと人に使われるのが苦手だったのかもしれません。その間にNXX関連の作業をもとに知り合った気の合う仲間たちと当社を設立した次第です。それが36歳のときでした。
■1人1人が責任ある仕事を
倉田 では、御社の業務内容について教えて頂けますか。
堀江 現在は「NT○○(株)」や「(株)住○」「アジ○○(株)」等から、SEとしてシステムの開発や維持運用を請け負っております。
倉田 大手企業と取引されていることからも、御社がどれだけ高く評価されているかが分かりますね。ところで、お伺いしたところ社名には由来があるそうで。
堀江 会社という形は有っても無くてもよい、名目といった余分なものはいらないという考えから「有無」と名付けました。ただ、始めは『(有)有無』としていたのですが、これだと「有有無」と最後に「無」がくるので縁起が悪いでしょう(笑)。ですから、シンメトリックに『有無(有)』としました。バランスが大切と言う考えもありました。でも、お客さんは大企業ばかりでもなく、弊社のように小さな会社もありますよ。仲間の会社間の繋がりも重要で、共に企業として情報の仕事での助け合いなんかもしています。
倉田 余分なものをなくすといいますと?
堀江 1度目の独立の際に、会社としての共有部分──事務所の管理費用や社員の給与等を誰がどのように負担するかという問題でもめましたから、責任の所在があいまいになる共有の部分をできる限り省こうと思いましてね。ですから当社では私の自宅が事務所の替わりみたいなものです。私自身も、社長兼エンジニア兼事務員です。基本的には自分の給与は自ら稼ぐというスタイルを採っています。
倉田 現在、社員の方は何名ぐらいいらっしゃるのでしょう。
堀江 会社設立当初は社員と契約社員で9名でしたが、今は合わせて28名程に増えました。私1人で管理・フォローできるのは数名程ですので、もう1人の仲間である取締役や適任者と数名で各プロジェクトを管理して社員をバックアップしています。まあ、退職する人も少ないのは自慢ですけど……。 倉田 各社員を細やかにバックアップされていらっしゃるのですね。最後になりましたが、今後の展望をお伺いします。
堀江 まずは会社として信用を内部、外部から得て「あいつの会社なら安心だ」と言われるようにしたいと考えます。景況や時代の流れを見ながら、変化に強い会社スタイルで事業を進めていく所存です。 |